高速道路網、繋がるネットワーク…のこぼれ話
先だって、途切れていた高速道路がいくつか繋がって2021年度はネットワーク化がより進んだ…という話題を投稿しました。三陸沿岸道路が2021年末に全通した、とも書き記しています。さらにその後、播磨自動車道の延伸により山陽自動車道と中国自動車道とを繋いだ、というニュースまで飛び込んできています。
折しもその年末、たまたま自宅机周りの整理整頓をしていたところ、眠っていたタイムリーなノベルティが机の奥から出てきました。
経年劣化及び使い込みがひどく見るに耐えない姿ではありますが、恐らくは私自身がまだ小学生だった時分に貰ったものと思われます。残念ながら、どこで、どういった経緯から入手したのかの記憶が全く残っていません。でも、見ることができる絵柄からハッキリしているのは当時の日本道路公団が創立30周年であったこと、そしてそれが昭和61年度だったことです。
「日本道路公団」…ご承知の通りとっくに過去の組織であり、いまは分割・民営化されて地域ごとの「高速道路会社」に改まっています。その意味では掘り出せたこのノベルティ自体、質的な問題はあっても貴重なお宝ではあります。ただ今更ながらに惜しいと思うのは、(子ども向けグッズなので仕方ないですが)せっかくの当時の高速道路網図がすさまじくデフォルメされていて正確さが微塵もない点です。
とは言うものの、30年以上も前の高速道路ネットワークがどうだったかを見るのには十分すぎる内容で、1980年代後半の時点ではまだ、日本列島を背骨のごとく縦断する根幹の路線すら南北に貫通していないことが分かります。また、太平洋側と日本海側を横断する道路網に至っては、繋がっている箇所は探さないと見つからないレベルです。
さらに、先だって紹介済みの現高速道路網図と比較すると、1980年代は「計画中、工事中」とも表示されていない、当時は全く具体化すらしていなかった高速道路があちこち出来ていることも分かります。
この30年あまりで日本の高速道路網は逆にここまで発展したのだということが、机の奥から出てきたボロボロの下敷きから分かることとなりました。このネットワークこそが、現代の利便性を足元から支えているのは言うまでもありません。特産地で取れた産品が大消費地へ鮮度を失わずに届く、インターネットでクリック注文した通販商品が翌日くらいにはもう手元に届いてしまう…こんな便利な世の中が実現したのは、実はこのネットワークが充実してきた比較的最近のことだったのです。