杉の造林に力を注いだ飫肥藩
宮崎県日南市の飫肥は、間違いなく難読地名の代表の一つでしょう。鎌倉期からの由緒ある地名で、「九州の小京都」とも呼ばれる美しい城下町です。石垣や武家屋敷の門、そして町並み全体が重要伝統的建造物群保存地区に指定され、その静謐な雰囲気に多くの人が魅了されています。
飫肥は、戦国の時代まで島津氏と伊東氏が争い続けていました。しかし、一時的に島津に敗北し豊臣秀吉に仕えていた伊東祐兵が、秀吉の九州平定で武功を立て、それによって飫肥に封じられました。同氏によって飫肥城下の整備が始まり、以後、14代約400年にわたって伊東氏の治世が続きました。
この飫肥藩が力を入れたのが林業だったのです。
樹脂の多い「飫肥杉」は、その性質が造船に適していたことから、藩は大規模な植林を繰り返し、造林の基礎を築き上げました。『世界大百科事典』によれば、とくに十代藩主の祐鐘(1772-1798)のときには、この「飫肥杉」が、江戸時代には全国的に知られるようになり、藩の重要な産物になりました。油津港は木材の積み出しで賑わい、飫肥も林業の町として大いに栄え、江戸時代だけではなく、明治・大正・昭和前期と長期にわたって経済力を維持していました。この繁栄は、第二次大戦後になっても変わらず、木造船時代の終焉が訪れる昭和40年代まで続きました。
世界で唯一のコケ専門の研究所を支えた林業
飫肥には、世界で唯一のコケ専門の研究所「服部植物研究所」があります。

その古風な建物は、町並みの整備が進んだ飫肥旧城下の本町通りのランドマークとなっており、標本棟の建物と一緒に登録有形文化財にも指定されています。
ここは、世界で唯一とされるコケ専門の研究所として、1946年に服部新佐博士によって創設されました。
東京帝国大学理学部を卒業後、戦中の1941年に東京科学博物館(現・国立科学博物館)に就職した新佐は、コケの研究をしていました。しかし、1944年(昭和19年)に、郷里の父から、帰郷して家業を継ぐよう強い要請がきたのです。林業の跡取りが必要だったということもあるかもしれませんが、このころから東京への空襲が本格化しますので、息子の身を按ずる親心もあったのかもしれません。この経緯は、現在の服部植物研究所の理事長 南壽敏郎氏が『月刊杉』で、服部新佐自身の文章を引用されていました。
父のたってのたのみで、それまで勤めていた(とは言っても胸を悪くして殆ど療養の身であったが)上野公園の東京科学博物館(今の国立博物館)をやめて郷里、九州の島南端、宮崎県飫肥町(今の日南市)に帰ったのは空襲も本格的になった昭和19年の暮れであった。翌20年8月15日惨憺たる戦争は終り、人々の多くは虚脱状態にあった。家業(林業)に従事せよとの父のたのみにしぶしぶと承知はしたものの、そのかわり小さい研究所をつくり、コケの研究を続けさせてもらいたいと言う条件を付けた。
(私記『服部植物研究所 1946-1970年』、服部新佐、The Journal of the Hattori Botanical Laboratory No.34, January, 1971。『月刊杉』2014年8月、南壽敏郎「服部植物研究所と飫肥杉」からの孫引き)
服部家の山林の一部を研究所の運営資金として譲り受け、1946年に服部植物研究所を設立。林業で成した財が、世界で唯一のコケ専門研究所を生んだというわけです。
所有山林を1町歩(1ha)売れば最低でも500万円にはなる。研究所と服部家は、当時合わせて山林を約1,000町歩所有していたので、その運営が順調であったことは疑う余地もない。
この記述にしたがって単純に掛け合わせると、当時の価値で50億円ほどになります。もっとも、終戦直後の貨幣価値を今とそのまま比べることは難しく、たとえば当時の木材は、感覚としては現在の10倍ほどの価値があったといいます。具体的な金額の多寡よりも、研究所と服部家がいかに大きな財産に支えられていたか——その事実こそが大切でしょう。
謎のコケ、ナンジャモンジャゴケ
世界唯一とはいえ、コケの研究という、一見地味な研究が世間の耳目を集めたのは、「ナンジャモンジャゴケ」の発見と命名でした。『世界大百科事典』には、この新発見のコケは、
形態的に他のコケとひじょうに異なっており、発見された当初、はたしてコケ植物か否かさえ不確かであったため、ナンジャモンジャゴケの名がついた。
とあります。1951年に名古屋大学の髙木典雄が北アルプスの山中で見つけ、服部新佐が名付けたそうです。
その後の研究で、ナンジャモンジャゴケは、コケの一種であることが確定しました。しかし、コケと判明してからも、議論は続きました。コケは、蘚類、苔類、ツノゴケ類の3つに分類されますが、このナンジャモンジャゴケは、いったい蘚類なのか、苔類なのか、盛んに議論されました。現在では蘚類に分類されていますが、ナンジャモンジャゴケがいかに異例の植物だったかがわかります。
なお、服部植物研究所の2代目所長だった岩月善之助博士は、弊社の親会社平凡社が2001年に刊行した『日本の野生植物 コケ』のただ1人の監修者でもあります。
同書には、もちろんナンジャモンジャゴケも収録されています。本図鑑の凡例によれば、採録されたコケの標本は、蘚類についてはすべて、現在も服部植物研究所に保管されているそうです。

江戸期から飫肥の地で育まれた豊かな杉の森が林業の財を生み、その財が世界で唯一のコケ研究所を育てました。そしてその研究所から、「これはコケなのか?」とまで問われた謎の植物が世に送り出された——そして、服部植物研究所は、今なおコケ類の研究および標本では、他に類をみない存在です。飫肥杉からナンジャモンジャゴケへと続くこのつながりは、小さな城下町が育んだ、豊かな物語でした。








