出版と長野の深い関係
長野県木曽郡南木曾町に、「読書」という地名があります。読みは、「どくしょ」ではありません。明らかに難読地名です。じつは町名の「南木曾町」も難読で、「みなみきそまち」と読む人もいらっしゃるようですが、「なぎそまち」です。
この「読書」という地名を知ったとき、多くの人と同じように、私も、「どくしょ」と読みました。そして、出版にかかわる人間としては、そのあまりにも出来すぎた地名に強く惹かれました。しかも、近くには「読書ダム」や「読書発電所」まであるのです!
連載第1回でふれたように、「どくしょ」ではなく「よみかき」と読む由来は意外なものでした。与川(よがわ)の「よ」、三留野(みどの)の「み」、柿其(かきぞれ)の「かき」という三つの村が明治初期に合併した際、それぞれの頭文字を取って「よ・み・かき」とした合成地名だったのです。思えば、「三留野」「柿其」も、難読ですね。とにかく、「読書」は、本を読む「読書」とは何の関係もありませんでした。
しかし、連載の第1回でも書きましたが、なにしろ長野は、岩波書店、筑摩書房、みすず書房、哲学書房といった名だたる出版社の創業者の出身地なのです。調べると、実は、まだまだありました。長野県の地図にプロットしてみました。
この地図を見ていると、出版と長野県のつながりは、思いのほか深いように見えてきます。
しかも、三つの村の名をつないだ「よみかき」という四音に、わざわざ「読書」という漢字を当てた人が、長野県にいたのです。木曽谷の山奥にあるこの地名は、明治期にできた行政上の新しい地名でありながら、どこか文化的な香りを漂わせています。
ふりがなをつける仕事をしていると、こんな地名はどうしても気になって仕方がなくなります。これは一度、自分の目で見てみなければ。そこで、ある土曜日に思い立ち、中野さんに背中を押されるようにして、実際に現地を訪ねることにしました。
読書を訪ねる
読書は、中央本線の南木曽駅が入口です。そもそも、南木曾町役場の住所が木曽郡南木曾町読書3668番地1なのです。住所にさえ、しびれませんか?
新幹線を名古屋駅で中央本線に乗り換え、中津川まで特急「しなの」で向かいます。木曽谷へ入るには、中津川で普通列車に乗り換えなければなりません。特急の中で、「中津川からの普通列車はワンマン運転で、クレジットカードやICカードが使えなくなり、すべて現金精算になります」という主旨のアナウンスが流れます。
各駅停車に乗り換えると、乗客の半分以上がインバウンドらしき人たちです。ワンマン運転なので乗り降りはすべて1号車からしかできません、と車内アナウンスが流れます。私は、2号車に乗っていたのですが、途中駅の坂下での停車中、ヒジャブをまとっている二人連れの女性が、2号車のドアの前で扉が開くのをじっとまっています。どうも、先ほどのアナウンスが聞き取れなかったのでしょう。彼女たちは、この駅で降りたいのだと気が付いて、慌ててGo First Carと声をかけます。めちゃくちゃな英語ですが、なんとか通じたようです。よかった。
木曽川に沿って北上すると、やがて南木曽駅に着きます。中津川からは20分弱です。
この南木曽駅は、古い町並みが保存されている町として知られている妻籠宿の玄関口でもあるので、降りる客も多いのです。駅前から妻籠宿までバスも出ていますし、駅前にはおしゃれなカフェもあります。
最初に、読書ダムへ向かいました。Google Mapでおおよその位置を確かめ、国道19号を木曽川に沿って北上します。ちゃんと距離を測ればよかったのですが、適当に歩き始めてしまい、後悔しました。遠い。思ったよりもずっと遠かったです。1時間以上、歩きました。
へとへとになったころ、国道19号から左折し、旧中山道へ入り、さらに少し奥へ進みます。中央本線の踏切を越えて、さらに奥に。そうすると、木曽川をせき止めるダムの姿が見えてきました。
写真をご覧いただければ分かるように、木々の間から見ることになったのですが、実際に目にした読書ダムは、私が想像していた以上に美しかったです。堤体はゆるやかに折れ曲がる「く」の字型をしており、周囲の山並みに溶け込むように立っていました。
そして何より印象的だったのは木曽川そのものです。川の水は深い緑色を帯び、その中に白い大小の岩や石が無数に散らばっているのです。白と緑との対比が鮮やかです。木曽谷の景観の美しさはよく知られていますが、その美しさは山の風景だけではなく、川とともに作り出しているものなのだと実感します。
ダムと発電所が遠く離れていた
私は当初、読書発電所は読書ダムのすぐ近くにあるものと思い込んでいました。
しかし実際には、そうではありませんでした。Google Mapで近くを探しても、それらしい発電所はありません。そこで、「読書発電所」で検索をかけてみると、地図がぐーんと動いて、南木曽駅よりも南、しかも木曽川の反対岸にマーカーがたちます。なんと、直線距離で8㎞以上も南にあります。ダムと発電所が、こんなに離れているとは!
とにかく、いったん南木曽駅に戻ることにしました。来た道を引き返します。駅に戻ると、駅前にタクシーがいました。疲れてもう歩けないので、タクシーに乗り込み、読書発電所に向かいます。
発電所は南木曽駅からおよそ2㎞。木曽川に架かる木造の橋を渡った先にありました。ダムに比べれば、思ったより近いところです。
読書発電所は現在は関西電力が管理していますが、その歴史は古いようです。建設には、福沢諭吉の娘婿の福沢桃介が深く関わっており、完成したのは今からおよそ100年前です。読書ダムよりも発電所の方が、ずっと古いのです。木曽川の豊かな水量を利用した水力発電開発の象徴的な施設です。国の重要文化財にも指定されています。
福沢桃介は、若い頃に慶應義塾で学び、在学中に福沢諭吉に見込まれ、2年の米国留学を経て、諭吉の次女の房と結婚。福沢家の養子となりました。
彼は、株式投資で得た巨額の資金を元手に、1900年代後半から1910年代にかけて、名古屋電灯の経営に入り、中部の河川を使った水力開発を本格化させます。木曽川の地形、流量、需要地との距離を見て、この流域は日本有数の電源地帯になると読んでいたそうです。
その開発の中心になったのが、1921年(大正10年)に木曽電気興業など3社の合併として成立した大同電力です。桃介は初代社長として木曽川の大規模な水力発電施設の開発を推進し、読書発電所を1923年に完成させています。目の前の施設が一気に近く感じられます。
タクシーの運転手さんの説明によると、南木曽駅の近くに桃介橋という橋があり、それを渡ったところには福沢桃介記念館があるそうです。あの有名な川上貞奴と桃介が暮らした別荘を利用したものだそうです。南木曾には、福沢桃介の業績を伝える施設がいくつかあるようです。
運転手さんは、貞奴が桃介のお妾さんのようなイメージで説明をしてくれましたが、おそらく実際は、それほど単純なものではなかったでしょう。なにしろ「日本初の女優」と「電力王」の2人です。その関係については、もはや40年以上前になりますが、大河ドラマ『春の波濤』(NHK、1985年)で生き生きと描かれているので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。ここでは詳しく触れませんが、貞奴は、生活、仕事の両面にわたって、桃介にとって長年のパートナーであったようです。
読書発電所は、読書ダムよりもかなり南にあり、直線距離で8㎞ほど離れています。発電のために両者は水路橋のような施設で結ばれているらしいのですが、訪れたときには、柿其水路橋は工事中で近くから見ることができませんでした。しかし、発電所への水の引き込みの巨大な3本のパイプは、すごい迫力でした。
よく歩いた一日でした。読書ダムまでの遠さにへたり、発電所で三本の巨大な導水管を見上げ、最後は駅前でほっと息をつく。けれど、その疲れごと持ち帰りたくなる場所でした。
「読書」という地名は、本を読むこととは直接関係がありません。でも、川の流れを読み、地形を読み、季節を読みながら暮らしてきた土地だと考えると、この二文字は不思議なくらいしっくりきます。
しかも、この読書発電所で生まれた電気は、中京や関西の生活と産業を照らしてきました。谷の水音が、遠い都市の明かりにつながっていたのです。
今後、「読書」という文字を見たら、木曽川の白と緑のコントラスト、そして木造の橋を渡る風を、思い出すでしょう。












